この人を見よー内村鑑三 その十七 詩人ウォルト・ホイットマン

アメリカの詩人、随筆家、ジャーナリストにウォルト・ホイットマン(Walter Whitman)がいます。超越主義(Transcendentalism) から写実主義(Realism)への過渡期を代表する人物の一人で、アメリカ文学において最も影響力の大きい作家の一人でもあります。独自の詩の創始者とされ、しばしば「自由詩の父」と呼ばれています。詩集『草の葉』(Leaves of Grass) の原型となる作品は、すでに1850年に着手しており、生涯、手を加え続けることとなります。ホイットマンが書こうとしたのは、真にアメリカ的な叙事詩であり、聖書の韻律を利用した自由詩の形式を用いたことで知られています。

 ホイットマンは理神論(Deism)に深く心酔していました。理神論とは、神の存在を認めつつ、啓示や奇跡を否定し、理性によって神を理解しようとする立場です。特定の宗教が他の宗教よりも重要だといった考えを否定し、全ての宗教を対等に扱うのです。主要な宗教を一覧にし、その全てを尊重し受け入れるという姿勢を示します。この感覚は「祖先とともに」 (With Antecedents) で更にはっきりと示されています。この中で彼は「自身はすべての理論、神話、神、半神を受け入れる / 古い語り、聖書、系図は、一つ残らず、真実だとみなす」と記しています。1874年、心霊主義運動(Spiritualism)のために詩を書くように依頼されたホイットマンは、自分は無神論者であり、すべての教会を認めるが、どれ一つとして信じないと言います。

Leaves of Grass

 さて、内村はどうしてホイットマンと出会ったかです。内村は日本にホイットマンを紹介した最も古い人といわれます。彼はホイットマンの詩と人とに深く傾倒していいました。題材、形態、表現などすべての面で一切、詩の伝統と形式と常識とを無視して、大胆に自由に歌う自然児の彼の詩に心酔し、人生と宇宙と、社会と国家と、教育と政治と、予言と宗教と、あらゆるものの真理が歌い上げられていることを理解するのです。また、無理解と不遜と貧困のうちにも、臆せずたじろがず、高貴に大胆に、自由の精神に生き抜いた自由の勇者の人と生涯とに、限りなき尊敬と愛慕とを寄せたのです。ホイットマンの詩はそのまま内村の詩であり、ホイットマンの人と生涯と自由とは、そのまま内村の人と生涯と自由であったといわれます。

Walter Whitman

 内村は晩年までホイットマンの詩句を引用し、つばの広い帽子を送られると「ホイットマンのかぶっていたような帽子だ」といって喜んだという逸話が残っています。ホイットマンはいつもつばの広い帽子をかぶっていました。大自然児ホイットマンと著者との間には血が通っていたようです。ホイットマンの信仰は万有神教とか自然神教とか呼ぶべきもので、キリスト教の正統信仰とは見なしがたいものではあります。にもかかわらず、正統信仰中の正統信仰を厳に守る内村が、ホイットマンの信仰までも賞賛することは、異様に映ります。しかし、内村はホットマンの人と生涯に同感し同情しながらも、その度を超えているのではないと思われます。ホイットマンの信仰自由の精神は、実は、そのまま内村の信仰自由の精神だったといえるのです。

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